ファンタジーに求めるもの

ここも予定地。

雑に言ってしまうと「想定外が起こる世界」なのですが、こういってしまうと現実世界もそうなので、もう少し掘り下げたいです。

 

考える材料:

以下のツイートは重要ですが、一方で何でもありだと想定外が生まれづらく、制約があるからこそ想定外が輝くという側面もあるので作品価値を考える上では悩ましい問題でもありますね。

https://twitter.com/kazakura_22/status/1173255808236183552

このツイートに対する反応に「そこにワンダーはあるのかい」(https://kai-you.net/article/26597参照)を引用している人がいますが、これも難しい問題ですよね。ワンダーを特別視するのはある種当然ですが、ワンダーの暴力性にも目を向けなければいけないと思います。例えば、SFとしてはち密だがワンダーがないという批評は当然あり得ますし、それ自体は否定しませんが、そういう批評ばかりの世の中って嫌じゃないですか?

才能のある一部の作り手とその他大勢の消費者(ファン)という区分が明確ならそれも仕方ないのでしょうが、その境界が崩れつつある現状、ワンダーを生み出せるかどうかという視点を打ち崩すことで、創作のハードルが下がり多様性が増すのではと考えています(そして、ゲームブックAIはその流れを加速させるものでありたい)。

リアリティがどうでもよくなるとき

ハイファンタジーにのめり込むと、リアリティがどうでもよくなるタイミングってあると思うんですよね。他者の目があると常にリアリティを意識させられますが、創作または妄想に熱中していると、リアリティは付け足しでどうでもなるというか、もはや脳内世界でリアリティも自給自足できる状態になる。

 

ビジネスに乗せるとほぼ必然的にこれが失われるのが辛い。アマチュアのメリットはここで、ゲームブックAIでもこの点は意識したいです。

 

なお、これに当てはまらないごく一部の天才はいるでしょうが考慮しません。

アボリジニの探索能力

https://dailyportalz.jp/kiji/sekai-no1-yoroi_mogura_goki

今更だが、引用のないあやふやな記憶で書くことが多いです。

上の記事は世界最大のゴキブリを捕まえるという記事だが、この中に

「ここがいいんだ」と停車したのはシロアリの蟻塚が点々とそびえるユーカリ林。

04.jpg
大きなシロアリの蟻塚。虫たちのスケールがなにかとデケェ…。

…うん?僕には1時間スルーし続けてきた景色と何も変わらないように見えるんですが……。
だが!その素人目にはわからない微妙な地質や樹種(ユーカリと一口に言っても相当な種数がある)の違い、あるいは水辺からの距離などによってヨロイモグラゴキブリが集中する場所、まったくいない場所がはっきり分かれるのだという。

という節があり、オーストラリアの強盗であり英雄のネッド・ケリーを追い詰めたアボリジニのトラッカー(追跡者)を思い出したのでメモ。

 

オーストラリアは砂漠地帯が多く、そのような過酷な環境で食料を得るためにアボリジニは動植物や水の痕跡を見つける能力が研ぎ澄まされているらしい。政府の追跡を避けるためケリーが痕跡を消しながら逃走してもトラッカーが些細な跡を見つけ出し、追い詰めていったそう。

 

そして、アボリジナルアートには彼らの追跡技能を伝承する作品も含まれているとのこと。

 

いやあ、かっこいい。

『ロードス島戦記』とその時代5

ロードスと対比される形で涼宮ハルヒの憂鬱についても取り上げられており、明確にキャラクター小説として売り出したことが成功につながったとあるのだが、キャラクターをタレントとして小説と関係ない場面に出現させたり、現実のものに言及させたりするという手法は、別にキャラじゃなくてもできそう。

 

例えば科学が発達した世界の産物がオーパーツとして別世界に紛れ込むとか、知識そのものの紛れ込み、物理法則の輸入など。こう書いてみると目新しい感じはないですね。けど、一方でロードスは2次創作がしにくいとされているわけで、それがなぜなのか掘り下げないといけなさそう。