ゲームブックとノベルゲームの違い
前のエントリーで自由入力を許すゲームブックと自由入力を許すノベルゲームは何が違うのかという疑問を残していたが、ひとつの答えが出たのでメモ。
端的に言うと前者は世界観、後者はキャラクターありきになるというのが結論。世界観を大事にしたかったらゲームブック形式を取る意義が出てくるはず。なぜこういう違いが生まれるかというと、ゲームブックは必然的にテキストに比重が置かれるので人物画のインパクトが相対的に弱い。ノベルゲームでも弟切草やかまいたちの夜のようにシルエットにしてインパクトを弱めることはできるが、それでさえ登場人物がが現実。ノベルゲームというフォーマットがキャラを生き生きと描くためのものなんだろうと思う。
ただ、ゲームブックでも多少は挿絵があった方がよく、画像系のAIを全く扱わないのは難しいだろうな。
自由入力を許すゲームブック
自分のやりたいことをわかりやすく表現するとタイトルのようになるかなと思ったので書いてみました。ちょっと気になっていることとしては、自由入力を許すノベルゲームと何か違いはあるだろうか。考えてみたい。
ミラーワールド
https://wired.jp/2019/08/02/mirror-world-keyword/
ミラーワールド自体はワクワクする発想で、今後の展開に期待だが、ゲームブックAIとの距離感をどうするかは悩ましい。現実世界との接合があるからこそ面白いという考えは理解できる。ユリイカの『ソーシャルゲームの現在』にあった、ソシャゲは日常生活に浸食している点が新しいという視点もなるほどなあと感心させられたし、惹かれるところはある。
基本は距離があるものとして考える一方で、意識はしておこう。
『ロードス島戦記』とその時代
安田均へのインタビューで言及されているTRPGにおけるリプレイの位置づけがゲームブックAIの役割を考える上で参考になったので記録。
グループSNEがリプレイという手法を開発する前は、シミュレーションゲームなどで将棋の棋譜のような形で最小限のプレイ情報を記録する程度だった。そしてリプレイをもとに小説を書き大流行したものがロードス島戦記。ゲームプレイへの作家性の付与という観点で考えると、棋譜<リプレイ<小説。仮にゲームプレイの情報が保存されたまま作家性が付与されているのなら小説やリプレイから棋譜を復元することが可能であり、AIが得意なのもこのアプローチのはず。
しかし、ゲームブックAIでやりたいのは逆。それが可能になるには足りない作家性の情報を捏造する必要があり、それを実現するヒントが「作家性とはゲームの世界観を歪めるもの」という仮説となる。この仮説自体はそう無茶ではないと思うが、それが真だと仮定した上でさらに「世界観を歪めることで作家性が生まれる」というより無茶な仮説の実証を目指すのがゲームブックAI。
ここまで来てしまうと安田均のいう「作家性」とは定義が違ってきそうだが、そこは掘り下げないのが吉。掘り下げてしまうと何も作れなくなるので。
TRPGでは双方向性や即興性が面白さの鍵となる一方で世界観という軸は大事にする必要があるという考え方が一般的だろうが、その軸を換骨奪胎できるかというのがこのAIの肝となる。