シミュレーション小説の発見

 

シミュレーション小説の発見
 

気軽な気持ちで読み始めたら哲学用語満載で志の高い本でびっくり。シミュラークルという言葉はなんとなく聞いたことある程度でしたが、提唱者であるボードリヤールがすべての文化現象はシミュレーションであると述べているらしく俄然興味が。サブカルはなぜ自由な妄想を縛ってしまうのか問題について考えていたところなのでここからヒントが得られたら。

 

読みながらこの文章を書いているのでダラダラと追記する。確かに言語は文化が記号と事象の関係を縛る典型で、クレオールになっても多少解ける程度で大きくはは変わらないか。むしろ縛ろうとすることで文化が形成されるのかな。ボードリヤールの主張はここに帰結するのか。なるほど。

 

現代的な意味でのコンピュータベースでのシミュレーションでボードリヤールの主張を実践してしまおうというのが著者の帰結になってる。これは強く共感するし、AIの役目と言ってもいいんじゃないかな。

 

ポストモダンの哲学をうまく咀嚼できてないことで、ボードリヤールの主張をうまく活かせてないように見えるがやりたいことの大筋はゲームブックAIと一緒。期待していることが違うことでアプローチに差が出るかは考えたい。

 

シミュレーション小説がSF第4世代という話は面白い。仮説検証ではなく実験的というのが統計と頻度主義とベイズ主義の対比を想起させて今の時代にあってるなと。

 

著者があとがきで本著も含め自分の作品は全てプリコラージュだと言っており、これもゲームブックAIで構想していることと合致するのですごく刺激された一方で、人の手で作りこまれたプリコラージュとAIが生成するプリコラージュには何か差異があり、そこを埋めるというか埋めなくてもいいが、前者にある魅力をうまく救い上げる方法を考える必要はある。これは凡人のプリコラージュが面白くない問題と通じており、別に他人にとって面白くなくてもいいが、作り手自身がわくわくできるための仕掛けは何だろうというところは詰めたい。

 

ちょうど以下の放送(期間限定公開)で東浩紀が「売上なんかくだらない」と「売上が重要」の両方がないと価値のあるものは作れないと言っており、それはすごく納得できるが、それとは違う「小さい頃の妄想の楽しさ」のようなものを体現したいのがゲームブックAIなので、この指摘は受け止めつつ違う方向に行きたい。

 


【3/26まで無料公開中!】プラープダー・ユン×福冨渉×東浩紀×上田洋子「都市と文学と黒魔術、あるいは知識人の使命ーー無観客のゲンロンカフェとバンコクのプラープダーを結ぶ『新しい目の旅立ち』刊行記念」